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和平の女神へ

和平の女神へ 掲載写真
和平の女神へ

天妃、天后、娘媽、菩薩、そして媽祖。多くの呼び名で祀られている、海の女神がいる。この海の女神には、生前どのような人だったのかという伝承があるのだが、女神が人だったという話をすれば、神は神であり、人ではないと違和感を覚える人もいるだろう。とはいえ、生前の記録が残されているのだから、それを話さないことには進められない。この海の女神の、最も古い神としての名が媽祖なのだが、内容が仰々しくなりすぎないよう、敢えて敬称略でお話しを進めさせて頂く。生前の媽祖は、林黙という娘だった。中国では宋朝の時代が始まる960年。林黙は、現代の福建省莆田市にある湄州島で生まれている。それほど昔の話ではないと感じる人もいるかもしれないが、それでも今から千年以上前の話。その頃の日本といえば平安時代、村上天皇の御代である。村上天皇の末裔は村上

源氏として、源氏系の公卿の筆頭を占めるようになっていき、南北朝時代の南朝の忠臣として名高い北畠家などを輩出するのだが、これは後の世の話。まずは福建と台湾に伝わる媽祖伝承の一つを、お伝えすることから始めよう。〜昔々、中国では北宋と呼ばれる時代。福建省莆田市湄州島のある村に、林という名の夫と、王という名の妻、心根の優しい二人の夫婦が暮らしていた。夫婦は日頃から善業を行い、多くの人を助けていたある日の夜。王が眠りにつくと、夢の中に観音菩薩が現れこういった。「あなた達は毎日、とても良いことをしていますね。そんなあなた達の為に、この薬丸をあげましょう。これを飲んだら良い事がありますよ」。目が覚め、不思議な夢だったと思う王の手には、夢で見た薬丸が握られている。観音菩薩に言われたように薬丸を飲むと、お腹に暖かい生命の脈動を感じた。時は少し流れ、960年3月23日の

和平の女神へ 写真 1
誌面実写記録(P.623
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