大洗天妃山弟橘比賣神社

徳川光圀公によって分祀された天妃尊像(媽祖像)の一つは、磯原の地に祀られました。大北川河口近くにある、海にせり出た小高い山です。この山は、かつては朝日指峰といわれ、薬師如来が祀られていました。古来よりの信仰の場だったのでしょう。薬師如来は天妃尊を祀る際に、村の寺に遷されています。天妃尊が祀られたのは1690(元禄3)年のこと。以来、この山は天妃山とよばれるようになり、海の守護神として、また磯原・大津の村の鎮守として、篤く信仰されたと伝わります。1831(天保2)年に徳川斉昭公の命によって、弟橘媛命が祀られるようになると天妃尊は合祀されました。天妃社は淡島神社や雄都嘉神社など幾社もの社が点在する山中の、最も高い場所に鎮座。山頂付近には「西山公腰掛石」が置かれています。光圀公はこの石に腰掛けて海を望んだのでしょう。
大洗の弟橘比賣神社は、大洗町の海門橋付近、那珂川をのぞむ小高い山に鎮座します。もともとは那珂川河畔にありましたが、1943(昭和18)年に現在地に遷座。沖洲神社が合祀されて、弟橘比賣命・豊御食津大神の二柱を祭祀しています。創始は、徳川光圀公の勧請により、1690(元禄3)年に天妃山媽祖権現として、天妃尊が祀られたことから。媽祖権現は航海安全、大漁祈願の守り神として、大洗の漁師たちに深く信仰されました。天妃の生誕日である3月23日を「天妃さんの日」とよび、祭日として海に船を出さなかったといわれ、漁に出るときには「天妃さん」を祀ったと伝わります。祭日は磯原の天妃山でも同様でした。1831(天保2)年、徳川斉昭公の代に天妃尊は引き上げられ、弟橘比賣命を祭祀。弟橘比賣神社となってからも、地元では「天妃さん」と親しみをこめてよばれています。
