洛陽市

北魏の時代、孝文帝により首都が平城(現在の大同)から洛陽に遷都され、この時(494年)から龍門石窟の造営が始まっている。この造営は唐王朝末期まで、約400年に渡り続くのだが、なぜ仏教石窟が中国に造られたのだろう。洛陽が初めて都市化したのは、西周時代といわれる周王朝前期。周王朝を興した武王の弟である周公旦が、武王の子である成王の時代に、商王朝の遺民を抑えるために建設した「洛邑」から。紀元前771年の申侯の乱によって幽王が殺されると、周の都であった鎬京は犬戎に占領され、周王室の平王が洛邑に移り周王朝を再興する。これ以降を東周時代といい、首都が洛邑に移ってからは、紀元前256年に滅亡するまで、首都の場所は変わっていない。その後、秦の始皇帝が中華を一つに統べると、首都は長安(現在の西安)に移るが、『三國志』の舞台でもある後漢時代と曹魏、晋と北魏、隋と唐(長安と二都制)、後梁と後唐を合わせて、東周から洛陽は九つの王朝の首都である。洛陽では夏王朝や商王朝の遺跡も発見されているので、河南省の中でも特に、中華文化の発祥地である可能性が高い地域。そして洛陽では、後漢の明帝の時代(年)に中国で初めての仏教寺院、「白馬寺」が建立されている。

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