許昌市

曹操の子である曹丕が、後漢献帝の「禅譲」を受け皇帝に即位し首都に定めたのは洛陽だが、三国時代の魏の曹操の本拠地といえばやはり「、許昌(許都)」だろう。許昌の位置は、洛陽の南東であり鄭州の南、中国五岳信仰の中岳、嵩山の南麓である。現在の許昌市の中には禹州市という地域があり、嵩山南麓の地域には夏王朝の禹が最初に作った都があるとされ、現在二箇所の候補地の発掘調査が進められている。夏王朝の禹に帝位を禅譲した「舜」は、舜の先代である「堯」と共に、偉大なる理想的「聖王」として尊ばれている。堯も舜も、次代の統治者を自らの子ではなく、禅譲という手法で相応しき者に譲ったのだが、この「禅」という字には、どうやら地面、ないし土にまつわる意味がこめられているようだ。土といえば、焼き物である陶器は土物といわれることがある。この陶器製作の手法を開発したのは舜であるとされ、舜は禹州市の神博古鎮にある伯霊翁廟で、「土山大王」として祀られている。舜は「河辺で陶器を作った」人と伝えられていて、窯職人たちからは「土の神」としても敬われていた。

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