開封市

宋王朝の首都として名高い開封は、宋の時代に「東京開封府」と呼ばれていた。日本の現在の首都は東京だが、約千年ほど前の河南省に、その名の都が初めて登場する。唐王朝滅亡後に五代十国時代が始まり、戦乱の末に中華を再統一したのが、趙匡胤の宋王朝。趙匡胤は五代最後の「後周」から禅譲を受け、960年に「宋」を建国する。後周の首都が䈠州(開封)だったので、禅譲された宋の首都も開封なのは理解できる。しかしなぜ、後周の首都は洛陽や長安ではなかったのか。五代の歴史を遡ると後周以前「、後漢」の首都も開封で、その前の「後晋」の首都も開封。その前の「後唐」の首都は洛陽だが、五代始まりの「後梁」の首都は開封だった。五代のうち、四つの首都が開封なのである。現代の北京と杭州を結ぶ「、京杭大運河」という人工運河があるのだが、この大工事は587年、隋を建国した楊堅が淮水と長江を結ぶ䋿溝を開鑿したことから始まる。南北の流通を握ることで隋は、南北統一を果たすのだが、この流通の要所に開封がある。南と北の文化が行き交うことで様々な情報が集まり、新たな文化も生まれていった。そのような地の利があったからこそ、幾度の水害によって埋没しても、開封の街は造り直されたのだろう。

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