横濱媽祖廟

横濱媽祖廟の正式名称は「横浜大天后宮」。横浜中華街の中、明治時代に置かれた清国領事館跡地に隣接する土地に創建されました。横浜は、1858年に日米修好通称条約が結ばれたのち、1859年に開港し発展。開港以来、横浜は生糸の輸出で栄えますが、欧米との貿易の橋渡し役を担っていたのが、中国人でした。1871年に日清修好条規が結ばれると、横浜に清国領事館を設置。中国人の来訪が増え、居住するようになったのが横浜中華街のある区域です。横浜中華街の中心に建つ関帝廟は1871年に建設され、1886年に拡張されますが、媽祖も祀られていました。2006年に建立された横浜媽祖廟の中央に天上聖母(媽祖)が鎮座。媽祖に調伏されて随神となった千里眼と順風耳も祀られています。廟内には安産の神である臨水夫人、学問を司る文正帝君、土地神の福徳正神などを祭祀します。
中世日本の中で、交易と関連する地域に根付いた媽祖信仰ではあるが、これはその時代においての交易の担い手の信仰と、合致していたからだろう。媽祖信仰の発祥は、福建の湄州島であり、福建と台湾は共通の文化圏。その地域の船乗りの守護神である媽祖が根付いた日本列島の各地域には、いつの時代においても中国の文化を繋ぐ人たちがいたということになる。ここに転載させて頂いたのは、2010年に長崎県文化・スポーツ振興部によって纏められた、2006年時点での日本各地の古い媽祖像の記録だ。この全ての地域に、福建と台湾にルーツをもつ人たちがいたと考えられる。そして、その後も媽祖信仰のための施設が出来ているのだが、忘れてはいけないことがある。媽祖とは、人であった林黙という女性が、その身を顧みず海難救助をおこない続けたのち、神となった存在。その根底には、他者を思いやる心があったからこそ、この信仰は広がり続けたのである。
