異なる祭祀の形跡

状況を研究している考古学者は、当時の古蜀人の祭祀方式には「燎祭」「瘗埋」「浮沈」「高台」「卜甲」など多種類の祭祀があり、祭祀の前には「毀器」の伝統があったようだと推測している。一部の儀式用遺物には「施朱」という、朱砂をふりまく現象の形跡が発見された。毎回の祭祀行為に使われる祭器の数と組み合わせ、埋蔵方法がそれぞれ異なっているので、山川、河流、太陽などの対象と祭祀の方法を厳しく制限せず、いくつかの祭祀方法が共存していたようなのだが、これは一つの集落の人たちによって、異なる祭祀がおこなわれていたのだろうか。それとも、他地域の人たちが共存していたからこそ、多くの祭祀跡が残されているのだろうか。現代においても、異なる地域で暮らす人たちは、異なる宗教のもとに生活をしているもの。もしかしたら金沙遺跡にいた人たちは、多くの地域から集まっていた人たちなのかもしれない。

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