独自に推測する年代

されている蜀の王と帝の数は5人。「蚕叢」が初めて王を称した後は、「柏灌」が王を継ぎ、その次の王は「魚鳧」、が継いでいる。その次の王は「杜宇」杜宇は人々に農業を浸透させたことから杜主とも呼ばれ、七国が王を称する中で帝を称して「望帝」と号し、「蒲卑」に改名した。ある時の水害において、その難をに政治を委取り除いた宰相の「開明」ねることにする。尭舜の禅譲の義を法として、帝位を開明に譲った望帝は西山に隠れ、開明は「叢帝」を号すとされている。蚕叢から開明までの歴史が、金沙遺跡
第三期と第四期の期間の話だったとすると、蚕叢が王を称してから、最も繁栄した金沙遺跡第三期が始まったことになる。だとすると恐らくその始まりは、『河
