中華の中心と中岳嵩山

る「達磨」が有名だが、少林寺は達磨のために創建された寺ではない。少林寺の名は嵩山奥深くにある、少室山北麓の五乳峰の林の中に作られたことに由来している。『魏書』「釈老志」によれば、少林寺は承明二十年(497年)に北魏の孝文帝によって、西域時代から名僧と名高かった、「跋陀」の為に建立され、同時に衣服が公的に支給された。「釈老志」に達磨のことは記録されていないが、唐時代の律宗僧である道宣(596667年)によれば、南北朝時代最初の南朝である「宋」の時代(479年の斉が成立するより前)、宋境南越に達したとされている。だがこの年代を、鵜呑みにすると『魏書』の記述を疑うことになるので、ここでは一つの伝承としてのみお伝えしよう。後に禅宗所依の史伝として権威を持
つ、北宋時代の道原によって編纂された『景徳伝燈録』によれば、達磨は普通元年(520年)に海を渡って中国に来たとされている。初めは広州に上陸し、南朝「梁」の「武帝」と問答するが、達磨は武帝と機縁が合わないと感じ、密かに江北に向かう。その後、達磨は嵩山少林寺において、壁に向かって九年座禅したとされているが、これは達磨の「物事を壁のように動ぜぬ心で観る」ことの意を誤解して出来た説ともいわれている。達磨は「禅宗五祖」の初祖であり、禅宗
