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カフェテラスで漢詩を

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梅は咲いたが、雪が降らなければ、どうも気分爽快とはいかない。また、雪があっても、詩ができなければ、いかにも俗気に満ちている。夕方になって、詩がようやく出来上がった。すると巧いことに雪がまた降り始めた。梅もちょうど咲きはじめ、これで雪の花、梅の花と役者がそろい、満点の春景色だと言えよう。方岳(一一九九〜一二六二)は、南宋末年(南宋は、一二七九年に滅亡)の人。硯で有名な安徽省歙県の祁門(ここはキームン紅茶でも知られる)の人。字は秋崖。才気があり、詩作に秀で、進士に合格して役人となるも、しばしば権力者に逆らい、官を退いた。この作品は、洒脱な中に機知に富み、味わいが深い。「精神」ということばは、『荘子』知北游篇に、孔子が老子に教えを乞う対話の中で、老子が言う、「汝斎戒し、而の心を疏瀹し、而の精神を澡雪し、而の知を䯇撃せよ。」(君は精進潔斎して、己の心の汚れを洗い流し、その精神をまっさらにし、その訳知りな知を打ち砕け。)と。「澡雪」は、沐浴してきれいさっぱりすること。「雪」は、詩の中では天から降る雪のことだが、あるいは作者の脳裏にはこの『荘子』の一節がくっきりと浮かんでいたのかもしれない。松、竹、蘭とともに「四君子」と称される梅だが、宋代、とくに南宋以降多くの文人に好まれた。「十分」は、まさに「じゅうぶん」なようす。なお、この作品の制作年代は不明。

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