茶旅するー台湾の中の泰緬を訪ねる

ホーンの話を聞くために信者が大勢集まっていた。この眷村はミャンマーから移住した人を多く受け入れたと書いたが、その殆どは雲南ルーツの華人であり、その中には中国系イスラム教徒である雲南回族が多く含まれていたという事実はあまり知られていない。大規模なモスク(清真寺)がここにあるのはそのためである。龍岡を訪ねた月の当日は、年に一度のお祭り「米干節」が開催されており、近所の市場も大賑わいだった。雲南や泰緬方面の食材もかなり売られており、雲南美食の文字が随所にみられる。売っている人たちも、雲南系華人で泰緬方面から移住してきた人々やその子孫であるらしい。因みに米干節の「米干」とは、雲南名物の平たい米麺を指す。この祭りは近年観光イベントとして開催されており、その歴史の重要性を踏まえて、観光地化が進められているという話を聞いた。米干節に合わせて水掛け祭り(タイ、ミャンマーの正月行事)も行われており、多くのゆかりのある人及び観光客が来ていた。広場にはこの日のために沢山のブースが出ており、雲南や泰緬の紹介やグッズが販売されている。向こうからは民族衣装を着た女性たちが踊りながらやってくる。広場の中でも音楽が鳴り響き、踊りの輪が広がっていく。これは以前タイ北部プラーオ山中のリス族の村の踊り(300人が輪になって踊っていた)を彷彿とさせる。ただ衣装はいくつかの民族の物が着られており、ちょっとしたコスプレ感覚の人もいたのかもしれない(泰
緬の山岳民族はどれほど台湾に渡ってきたのか、とても気なるが、その統計はあるのだろうか)。楽器を奏でていた男性は、タイ北部のメーサロンから移住してきたという。最近も時々タイの故郷に帰っており、親族もまだあちらに暮らしている。きっと複雑な事情があるのだろうが、踊っている時の表情は実に明るい。こういう人が今どれだけ龍岡に住んでいるか。既に移住開始から年以上が経過し、多くの移住者が更に別の場所に移住していると聞く。ミャンマー、タイの国民党軍は台湾に撤退した部隊と、残された部隊に分かれている。残された方は『泰緬孤軍』とか『異域孤軍』と呼ばれている。そんな名前が付いた異域故事館を見学してみると、泰緬の歴史が展示されており、雲南からの壮絶な撤退の様子、タイ北部での戦闘、生死を掛けた開拓などについて、説明者がそのリアルを伝えてくれる。勿論台湾に渡ってきた人々も生活は大変だったはずで、戦争に伴う犠牲とは何かについて、改めて考える機会を得た。昼を大分過ぎてから、食事の時間となる。その理由は食堂の人々がモスクのイベントに参加しており、用意する時間が無かったからだった。そして何と出てきたのは、「手抓飯(手で食べるご飯)」だった。それも見たこともないほど豪華、量も半端ない。ウイグルではポロと呼んでいたピラフのようなものだけでなく、揚げ物、煮物、野菜などがきれいに盛り付けられており、インスタ映えもすごい。雲南回族料理として供された。
