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詩経の世界へいざ、now

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詩経の世界へいざ、now

《唐風・揚之水》は、晋の昭公を風刺した詩とされている。昭公は国を分割して、叔父の恒(恒叔とも呼ばれる)に曲沃という地の支配権を与えた。のち、曲沃は繁栄して巨大化する一方で、昭公が支配していた国の勢力はだんだん弱くなった。晋の民はこぞって「徳を貴ぶ」恒に帰服しようとした。詩の作者は、昭公に反旗を翻した民の様子と高揚した気持ちを描いている。史書《左伝》や《晋世家》などによれば、恒は一度晋を侵攻したが、晋の軍勢に阻まれ失敗した。そして最終的に晋を滅ぼすのに、恒の時代からその孫にあたる武公の時代まで、実に六十七年を要したとされている。この作品に書かれた地名から、背景にある史実はおおむね信頼できるものと言える。最後の章に、「我聞有命、不敢以告人」の二行について、祖父陳子展は、「恒の領地に行くことを秘密としながらも、それをあえて語る」という作者の葛藤を指摘している。三百五篇からなる『詩経』の中に、《揚之水》というタイトルの作品は三篇(《王風》《鄭風》《唐風》)ある。今回取り上げるのは《唐風》に収められているものである。私がこの作品に惹かれた理由は二つある。一つは冒頭の三文字「揚之水」である。かつて意味が分からないまま、その響きだけで惹かれていた。余談だが、この言葉をペンネームにしようとも考えたものの、すでに著名な研究者がその筆名を使っていたため断念した。もう一つの理由はその色彩感覚である。

透明な「水」、白い「石」。さらに「素(白い生地)」や「朱(赤)」。そして「晧晧(光り輝く白さ)」。いずれも原始的な色彩で、原始社会の象徴的なイメージを喚起させる。「晧晧」は石の色であると同時に、石にぶつかる水しぶきの色をも表現しているように思える。この作品を改めて読むと、その深い意味に気づかされる。冒頭の二行は、常に変化する「水」と永遠に不朽の「石」を対比させている。古代中国では、「水」は時間、「石」は不変の象徴とされ、このパラドクス的な構造は中国の古典思想の特徴であり、「陰陽」の世界観を反映している。人間が「しぶきを高く揚げる水」で、理想の国が「高潔な石」とたとえられているのではないだろうか。ところで、「よい暮らしへの憧れ」はどの時代にも共通している。年代初頭、中国本土の人々は香港や台湾などの地名を聞くだけで目を輝かせ、アメリカやヨーロッパの国名にはまるでアラビアンナイトを思わせるような夢を抱いていた。実際、海外在住の華僑が多額の金を国内の親族や故郷に送ることが一般的だった。台湾の友人によれば、その父親は必死に働いて蓄えたお金をふるさとの親類に分け与えたが、親族からは「棚からぼたもち」と思われ、さらに要求されるばかりだったという。当時、中国人は自分が貧しい国に住んでいるから、もらって当然だと考えていた。〝有海外関係〞(外国とのつながりがある)はステータスであり、海外移住が一大ブーム

詩経の世界へいざ、now 写真 1
誌面実写記録(P.126129

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