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海流に乗り続けた交流

海流に乗り続けた交流 掲載写真
海流に乗り続けた交流

かつてこの海域では、交易に有効な鉱物などの資源を見つけ出した先人により地域が開拓され、その資源を用いた交易によって富を蓄えながら、地域同士が交流を続けていくことで、それぞれの文化の深みを増していたのではないか。文化が深みを増す為には、異なる要素を取り入れる必要がある。なので、交流するそれぞれの地域の文化は異なっていた方が良いのだ。全てが同じなら文化の深みが増すことはないので、それらの文化を「仲立ち」できる人は重要だったはずだ。この「仲立ち」が「日本列島」では「岐神」、「メラネシア」では「クラ」、「中国東南沿岸部」では「閩越」の人たちの生業になっていたのではないか。海を越えた海洋民族の中で、日本列島のそれぞれの地域で地盤を築いた人たちの一部が、『日本書紀』の中で「神」とされているのだろう。日本は八百万の神の国であり、出雲には「神在月」という特別な時期があるのだが、福州では「神遊び」という神事が春節の時期に行われるそうだ。どちらも、多くの神々が集う日とされている。この風習は太古における、出雲と福州で行われていた「世界貿易会議」を現代に伝える風習なのではないか。太古の海洋民族が、交易資源を見つけ出す為に航海を進めたと考えると、唐の時代に中国大陸に訪れた弘法大師「空海」の伝承にも、繋がる話がいくつかある。まず空海は四国の香川で、「佐伯直」という「佐伯」を束ねる一族の家で生まれたのだが、佐伯は日本武尊の捕虜になった、蝦夷の頭目の一族の末裔であると『日本書紀』に書かれている。『日本書紀』には蝦夷の二人の頭目のどちらが佐伯になったのか書かれてないが、山梨の「武田八幡宮」の伝承から、そこに日本武尊の養子となった「國津神」が眠っている可能性を見つけた。なので、佐伯直は「嶋津神」の末裔と予想できる。この、「嶋津」という音に聞き覚えがあるだろう。そう、1609年に「琉球侵攻」を実行したという薩摩藩の藩主は、「島津氏」なのである。

福州市は福建省の省都であり、2200年以上の歴史を持つ文化都市です。三方を山に囲まれ、中心には閩江が流れる地形の中で発展してきた福州は、「海上シルクロード」の起点としても知られ、古くから海外との交易と文化交流が盛んな土地でした。福州料理は閩菜の中心をなす存在であり、「湯(スープ)の香り」に象徴されるように、煮込みや蒸し料理が豊富で、素材の風味を活かすやさしい味付けが特徴です。特に魚のすり身団子や米粉入りのスープ料理など、口当たりが柔らかく、どこか懐かしさを感じさせるものが多くあります。調味料としては、紅糟(発酵米調味料)、魚露(ナンプラー。地元では蝦油と呼ばれている)、福建老酒などが多用され、これらが料理に深みを与えています。味は塩気と旨味のバランスを重視し、しつこくなく、それでいて食材の香りがしっかり感じられます。また、福州の人々は「食は慎みと理性」という考えを大切にしていて、派手さよりも、身体にやさしく、心がほっとするような料理を好みます。屋台で味わう魚丸から、家庭でよく食べる鍋いっぱいのスープまで、福州の食文化には、閩江の恵みと武夷山からの風が育んだ土地の温かさ、そして人のやさしさが詰まっています。

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誌面実写記録(P.4449
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