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古代の信仰 無数の神々

古代の信仰 無数の神々 掲載写真
古代の信仰 無数の神々

福建の中で、多くの信仰を集めていた神々は八百万。『日本書紀』には神々の名が無数に記されているとはいえ、それが当時の日本列島にいた神々の全てではない。日本の神々といえば、「鹿」と縁のある神が多く、それ故に鹿を食べることを禁じる社も多いのだが、長野県諏訪市にある「諏訪大社」では、鹿を食べることが許されていた。諏訪大社には特徴的な四本の「御柱」があり、この風習に似た四本の龍柱を、福清市䆢鎮鳳跡村にある「霊渓宮」の廟内で拝見した。四本の龍柱は以前の天孫降臨特集号で訪れた、南九州にある島津氏によって建立された社にも通じる。鹿といえば北海道の「アイヌ」の食料としても知られるが、アイヌの文化の中には様々な「本草」の知識があり、その中でも常備薬として重宝されていた「シケペニ」については、これまでも何度か「エントゥサレ」のページで摩耶さんが紹介してくれている。シケペニとは、「黄檗」のことだ。福清から来日した高僧、隠元隆琦が開祖である日本の仏教宗派は「黄檗宗」だが、この「黄檗」の名がどこから来たかといえば、隠元隆琦が法灯を継いだ「臨済義玄」の師匠、「黄檗希運」。黄檗希運が出家したのは、福清の「黄檗寺(」後の黄檗山萬福寺)である。なぜ、これほど「黄檗」が強調されているのか。厦門大学の林観潮教授にお聞きしたところ、ここに寺が創建されるキッカケになったのが、この山で自生していた「黄檗の木」だったそうだ。黄檗は漢方で「整腸薬」として使われている。漢方の整腸薬の原料なら、交易品としても求められただろう。黄檗の整腸薬としての使い方は、アイヌも同様だ。黄檗希運は大中4年(850年)に示寂していて、アイヌ文化は世紀頃から始まるとされている。そしてかつてのアイヌは、「交易の民」だったのだそうだ。長野の諏訪大社に祀られているのは「建御名方神」だが、『日本書紀』にその名は無く、記述の内容から茨城の大伫神社に封印された「天津伫星」と同一ではないかという説がある。

福建省東南沿岸に位置する福清市は、山に囲まれた三方のうち、一方が海に面した自然資源に恵まれた都市です。古くから海外、特に東南アジアへの移住者が多く、「僑郷」としても知られています。そうした歴史的背景により、福清の食文化は福建料理(閩菜)をベースにしつつ、国外の食材や味付けも巧みに取り入れた独自の進化を遂げてきました。福清料理は香りと火加減を重視し、味はやや濃いめでコクがありながら素材の風味を活かす工夫が随所に見られます。紅糟(発酵米調味料)はこの地を代表する調味料で、魚や肉を漬け込んで風味を加えたり、煮込み料理のベースに使われたりします。魚露、老酒や青紅酒などが多用され、複雑で深みのある味わいを生み出します。主食は米粉、豆簽(豆のデンプンで作った平打ち麺)、春雨、さつま芋などが多く用いられ、炒め、煮込み、蒸しといった多様な調理法で食卓を彩ります。中でも米粉や春雨は、海鮮と合わせて炒めたり煮たりすることで、素材の旨味を吸収して主役級の一皿になります。家庭料理から宴席料理、そして屋台グルメまで、福清の食には「熱々」「香ばしさ」「素材本来の味」というキーワードがよく似合います。どの一口にも、山と海に囲まれた福清の土地の記憶と、世界に広がる僑郷ならではの文化が息づいています。

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誌面実写記録(P.5661
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