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福州長楽区

福州長楽区 掲載写真
福州長楽区

いわゆる「魏志倭人伝」が記された『三国志』時代の長楽は「、呉」の支配地で「六平呉航頭」のあった場所。呉はこの地で造船業を興し「、典船校尉」を設置している。ここには元々、後漢から流刑された者たちが集められていて、造船業に従事する人が多かったことから「呉航」と名付けられ、その名が今も受け継がれている。長楽の始まりは、三国時代の呉の造船基地として成立したのだ。長楽は、清時代の鎮閩将軍、阿爾賽の奏上によって造られた、旗人による「清代水師城塞」が、満洲八旗の子孫が集住する「琴江満族村」として今も残る地域であり、明時代の福建の海防の拠点であった「梅花港」が残る地域でもある。記録によれば、明清時代を通じて中国の冊封使節は琉球に回派遣され、そのうち回が梅花港から出航している。雲南出身の冊封正使、蕭崇業と長楽出身の冊封副使、謝傑が共同で執筆した『使琉球録』には、「梅花の港、南風が吹けば、東沙山を目指し、辰の針路をとり、六更の時間に船を出す〜」という、当時の琉球への航路についての記述が残されている。明朝政府は「閩人三十六姓」の琉球移住を許可し、琉球と福建の関係は、文化・技術・人々の交流によって友好関係を深めながら、貿易や外交の利を超え深く結びついていった。

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誌面実写記録(P.6263
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