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長楽区とは?

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長楽区とは?

福建省福州市の東端、台湾海峡に面して広がる長楽区は、古くから交通の要所として知られています。古代より「海上シルクロード」の重要な中継拠点として繁栄し、明代には鄭和の大艦隊も長楽にある五虎門付近で停泊し、航海に適した季節風を待つための待機場所として利用していました。これらの歴史的背景は「鄭和記念公園」や「聖寿宝塔」、「雲門寺」などの文化遺産によって、今も街の中に息づいています。福州長楽国際空港を擁するなど、現代においても長楽は、福建と海外の窓口としての役割を果たしています。元々綿花栽培が盛んだった同地は、海上シルクロードの影響で、綿糸・染色技術が流入し、早くから繊維産業の下地が形成されました。その後、改革開放後に多くの海外華僑が故郷である福建省に投資を行い、長楽では多くの紡績工場が設立され、現在ではナイロンや繊維の生産拠点としても知られています。長楽は沿岸に位置するため、地域文化や食も海との関わりが深いものが無数にあります。国家級無形文化遺産に登録された「琴江台閣」は、水上を優雅に移動する山車と華やかな演舞で知られ、訪れる人々を魅了しています。地元グルメでは、魚のすり身で作る「魚丸」が人気で、漳港では牡蠣の養殖も盛んです。近年、長楽は福州新区の中核エリアとして急速に発展しています。特に浜海新城では、デジタル経済、スマート製造、グリーンエネルギーなどの次世代産業が集まり、「東湖デジタルタウン」には中国大手キャリア「チャイナモバイル」など、複数の大手企業のビッグデータセンターの誘致に成功しています。今後長楽は、未来都市としても発展を進めていくでしょう。

明の洪武年(1372年)、朱元璋は琉球に使節である楊載を派遣し、自らが皇帝に即位したことと、年号を洪武に定めたことを布告している。この時代の琉球は三山時代で、後に琉球三山の中山王であった「察度」が、弟の「泰期」を派遣し、北京に朝責している。これが、記録に残された琉球と中国の往来の始まりである。洪武年(1392)、明の朝廷は「閩人三十六姓」を琉球に下賜して、中国との朝貢に従事させる決定をしている。そして閩人三十六姓に選ばれた人たちの中から、書ができる人を大夫・長史に任命し、朝貢の管理をさせた。航海の得意な人は通事に任命し、航海技術の教育を進めさせ、琉球からの朝貢貿易に貢献させている。明代初期に、鄭和という人が永楽帝(在位1402〜1424年)の命を受け、回に渡る「南海大遠征」を行っているのだが、この時代は西洋で大航海時代といわれる時代より前なので、鄭和は大航海時

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誌面実写記録(P.6467
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