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福建と沖縄 二人の女神

福建と沖縄 二人の女神 掲載写真
福建と沖縄 二人の女神

中国東南沿岸部から、実直に海を渡り続けた福建の人たち。おそらくは有史以前から続く、南島語族の末裔たちの航海技術と、培われてきた海の先との繋がりが、ある時代の中国から特に重視されていったのではないか。明代以降に福建の女神、媽祖の信仰が南海に広がった理由。それは、海との関係が深い文化を持つ人たちの先祖や、信仰対象に重きを置いたからに思える。そして、その文化を大切にしている人たちの力を軽くみていなかったのだろう。国を豊かにするための交易は、異なる文化圏同士が繋がり、間を取り持つ仲立ちがいることで成立し、お互いの価値観を磨きながら成長していく。この過程を自国内で完結出来れば、その国の文化レベルが上がり、富の蓄えが増えていく『。日本書紀』の記述から汲み取れるかつての日本社会は、そのようにして多くの異なる文化を共存させながら、「さざれ石の巌」のような国の形を成している。福建の伝説や伝承をまとめた、『閩都別記』という本がある。この中には多くの物語に登場する、「陳靖姑」という女神がいるのだが、話の中には媽祖となる「林黙」や、女神になった琉球女性の名名前もある。その名は、「蔡紅亨」。長楽の梅花港にある「蔡夫人廟」で、「蔡夫人」として祀られているこの女神の話を、福建師範大学の頼正維教授が教えてくれた。地元の口承文芸によると、蔡紅亨は明朝初期に琉球へ下賜された「閩人三十六姓」の一つ、蔡茁の子孫であり、この家系は代々琉球王国で官職に就いている。蔡紅亨は長年子宝に恵まれなかった両親が、子授けの神でもある陳靖姑に祈願し、夢のお告げを受けて授かった子。誕生時に赤い光が輝いたので「紅亨」と名付けられ、幼少期から刺繍の才に恵まれていた彼女は、歳の時には驚異的な技術を身につける。蔡紅亨が刺繍した牡丹は、まるで朝露に濡れたかのようにみずみずしく香りまで漂ってくるようで、鳳凰は今にも空へ羽ばたきそうなほど躍動感にあふれ、鳴き声までもが聞こえてきそう。そして龍は、雲をまといながら天を駆けるような迫力があり、まるで生きているかのようだった。

福建と沖縄 二人の女神 写真 1
誌面実写記録(P.6871

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