カフェテラスで漢詩を

秋風が吹き始め、白雲が飛ぶように流れていく。草や木は、黄ばんで枯れ落ち、雁の群れが南を指して飛んでいく。蘭(フジバカマ)は花をつけ、菊は芳しい香りを放っている。その芳しき佳き人に心惹かれ、忘れられない。屋形船を汾水の波間に浮かべ、川の中ほどで船を止め、白波を上げて楽しむ。笛や太鼓の合奏が響きわたり、水夫たちのそろいの舟歌もそれに和するよう。この楽しみと喜びが極まったさなかに、ふつふつとこみ上げる悲しみ。若き日はいつまで続くのか、やがて迫り来る老いをどうすればいいのか。漢の七代目の皇帝、武帝(劉徹、前一五六〜前八七)の作品。在位は、五十五年の長きに及んだ。この詩は、紀元前一一三年、山西省に行幸し、后土(地の神)を祭った時のもので、四十四才であった。「辞」は、『楚辞』から始まる「うた」のスタイルであるが、漢王朝の始祖劉邦(高祖)にも「大風の歌」があり、その歌い出し「大風起こりて雲飛揚す」を強く意識していることがわかる。どちらの作品にも、リズムを整える助辞「兮」が多用されている。漢の朝廷の中では、劉邦とその取り巻きたちにも色濃く楚の文化や芸術がしみ込んでいたため、その後も長く影響が残っていた。秋がさみしく、人に寂寥感を感じさせるのも、『楚辞』から始まる伝統の継承と言ってよかろう。
リー山とも)が遠くに輝いている。どちらまで、行かれるんですか?四時間のフライトも、まもなく地上に向けて次シアトルです。そちらは、どちらまで?第に降下が始まる時間となった。すると、真下に広私は、シアトル市内のホテルに一泊、翌日アラがっているのは黄金色の絨毯だ。白樺がすっかり黄スカ航空でフェアーバンクスまで行く予定です。葉して、金色に輝いている。シアトルは晩夏だが、先日、近所で見つけたレトロな喫茶店。買い物帰りあの、よろしければ、息子が車で空港まで迎えここではもう晩秋の景色らしい。空港で手荷物を受にふらっと立ち寄り、コーヒーとチーズケーキを注に来ますので、ご一緒にいかがですか?け取り、ホテルへ。周りをみると、ほとんどの人が文。ふと目をやると、目の前の壁に一枚の風景写真がえっ、よろしいんですか?それは助かります。シャツ姿だ。わが旅行カバンの中には、北京で以飾られている。コーヒーを運んできたマスターに、何しろタコマ空港は初めてで、乗り換えがとても難前作ったカシミヤのオーバーコートやカシミヤのしいとか……。マスター、この写真、オーロラですね?セーターがぎっしり詰まっている(これらは、アラとのことで、ちゃっかりと息子さんの車でシアトルええ、カナダの北西部のイエローナイフといスカ滞在中一度も身に着ける機会はなかった)。な市内に到着。まず、スターバックスコーヒー二号店うところで撮ったやつです。んでも、八月末のこの一週間はまだ夏で、その後は(まだ日本には上陸していない)に案内してもらい、ご自分で撮影されたのですか?突然冬になり、雪深い日々が半年の間続くとか。熱々のカフェラテを一杯。本当にやけど注意の熱さいえいえ、なじみのお客さんの作品ですよ。ふログハウスのロッジ風ホテルの一階フロアでは、だが、じつに旨い。そのあと、市の中心のイタリアふ(笑)予定通りミーティングが始まる。昼は、食堂で簡単ンレストランで、ピザとパスタを堪能し、いかにも*なブッフェ。夕方は早く切り上げて、町中のレスト五十年代風の地元ホテルの入口まで送ってもらう。ちょうど三十年前の、一九九五年八月末のこと。ユナイテッド航空のシアトル行きのジャンボ機で、明けて翌日、いよいよアラスカへ出発。垂直尾ランへ。この町で一番美味なのは、何とGOLDENシアトルへ。そこで乗り換えて、アラスカへのひと翼にイヌイット(原住民)の笑顔が大きく描かれたSHANGHAI(金上海)という中華料理店だ。みなさ中型ジェット機だが、シートはやや狭く、隣の客はり旅。もちろん、オーロラ観光などではなく、仏典んで、円卓を囲んで中華料理三昧。大皿を運んで来大きな体を丸め(仏教経典)用漢字標準化の国際ミーティングへのる若者が、どうて座っている。参加だ。ホストは、アラスカ大学フェアーバンクスやら中国人のよ空は快晴。左に校の先生で、参加者は、日本、台湾、香港、オーストうなので、は、アラスカ山ラリア各地からの環太平洋の研究者とその夫人た君は、留学脈の山々が銀色ち。ほぼ温帯の人間が、極北にやって来たのだ。生かな?に輝いて連なっさて、もう夏の終わりのせいか、ジャンボ機の機そうです、ている。まもな内は乗客もまばら。だが、エコノミークラスのチ青海省から来まく、窓のはるかケットのためか、後ろの窓際の三人席の真ん中のした。向こうには、最シート。隣り合わせで窓際に、私よりもう少し年上ええっ、そん高峰デナリ山の夫人が硬くなって座っている。こちらも、食事がな遠くから。えら(六一九〇メー来るまでの数時間、話かけていいのか迷ってだまっいねえ(。もう三十トル、マッキンていたが、食事が始まるとやや緊張がほぐれて、年も前のこと!)んな植物が植えられている。めてこの国際シいえ、北京の方がずっと遠い感じです。ンポジウムが、なるほどね……。先生、この一角は何を植えているんですか?香港で開催され二日目は、ご当地特産のサーモン料理のお店。たこれは、中国文学に登場する花や樹木を育てたのだ。参加者しかにボリュームたっぷりだが、私たちにはやや単ているんです。は、香港、台湾調な感じだ。翌朝早く、朝六時ごろのフライトで再なるほど、私の勤め先には「万葉池」というのがの先生方、北京びシアトルへ。ホテルを出たのは朝四時頃で、外はあり、『万葉集』にみられる花や木が植えてあります。大学の費振剛先真っ暗やみ。娘に頼まれたオーロラのビデオは、昨それもいいですね。生、湖南師範大日の午後アラスカ大学の生協で購入済みだ。現地まもなく、夫人の運転で市内のチャイナタウンへ。学の馬積高、葉の皆さんの話では、オーロラは郊外の温泉の方へそこの中華料理店で夕食。夫人は、台湾の出身で、幼明先生、そし行かなければ、めったに見られないとのこと。とこきれいな北京語を話されていた。て日本からも若ろが、空港に向かってしばらく走っていくと、タク***手の学者数名、シーの窓の向こうに、うっすらとオーロラらしきもその後、連絡も少なくなったが、気になってそして米国からはコネクタス先生が参加し、大盛のが見えるではないか。ワシントン大学のホームぺージを見ると、何と会だった。中でも『楚辞』につながりの深い長沙か「emeritusprofessor」(名誉教授)としてコネクタス運転手さん、あれってオーロラかな?らいらした高齢の馬先生は、まさに「郷土の古典」先生の紹介が載っている。もちろん、『文選』の英語そうそう、あんたは運がいいねえ。ここはゆったる辞賦の復権を、心から喜んでおられた。なにし版全訳をはじめ、赫赫たる成果も紹介されている。くりと走るね。ろ、先年日本の故田中角栄首相が故毛沢東主席か私より九歳年上だから、もう八十三歳になられるとどうもありがとう。ら『楚辞集注』(朱熹注)をプレゼントされたのであ思われるが、まだまだお元気のようだ。**るから(もちろん故毛主席も湖南省長沙市郊外のまだ寒波の続く日々の中で、久しぶりになんだかシアトルでのもう一つの楽しみ。旧知のワシン韶山市出身である)。田中さんは故郷新潟の米俵をとても温かな気持ちになった。謝謝!トン大学のコネクタス教授(中国名、康達維教授)持っていって贈ったとか、国対国というより「おら(まつおか・えいじ)との再会だ。教授とは、一九九二年十月末に香港が国さ」の名産を贈り合ったのだろう。中文大学で開かれた、第一回国際辞賦研究シンポさて、コネクタス先生とは、ワシントン大学で待ジウムでお会いした。「辞賦」とは、屈原の『楚辞』、ち合わせ。研究室を少し案内していただき、玄関で左思「三都賦」などで知られる中国古代の文章の代夫人にお願いして記念写真を一枚。大学のキャン表的スタイルの一つ。日本でも良く知られる『文パスには、新旧二つの図書館があり、レトロな伝統選』の中に、名作が多く残されている。かつて、文風な建物が実は新しく、マイクロソフトの副社長の化大革命のころ、中国の古典研究は激しく攻撃さ寄付によってできたのだとか。彼の父が、もともとれ、八十年代にはようやくほかのジャンルは名誉この大学の図書館長を務めておられたと聞く。庭回復され、あちこちで学会やシンポジウムが再開には樹木が多く、リスがあちこちを走りまわっていしたが、この辞賦研究についてはなかなか門戸がる。ふと見ると、低い柵で仕切ったあたりに、いろ開かれなかった。ところが、九十年代になって初
