詩経の世界へいざ、now

失職矣。」との注が付いていて、「君主の夫人が夫の先祖の祭りを健気に手伝うことを称える歌」(吉川幸次郎『詩経国風』)という意味である。ヨモギは秦以前の時代から先祖を祭るために用いられていた。貴族たちはヨモギを祭壇に捧げ、それを摘むのは夫人の仕事とされていた。《左伝》では、薬草としての効能もあるヨモギは古代から悪霊を払う力があると信じられ、食べることもできると記している。明清時代には、ヨモギを用いた青団(草団子のような中国の菓子)が清明節の象徴的な食べ物となり、生命の継続と祖先の追悼を意味するものとなったのである。〈采蘩〉とよく一緒に取り上げられるのは同じ《召南》に収められている〈采蘋〉である。
この詩は三章で構成されており、それぞれ異なる情景を描いている。第一章と第二章は、「公」の家の女性たちが忙しそうにヨモギを採り、祭りの準備をする様子を問答形式で描いている「。ヨモギをどこで採るの?」「ほら、あの、池や中洲で」「どこに置くの?」「お殿様のお祭りの祭壇のところ」とそのような会話が今にも聞こえてきそう。そのバタバタしている情景から場面が突然、祭りが始〈采蘩〉の姉妹編とも言える〈采蘋〉は冒頭の「どこで藻(水草)を採るか」に関する表現が似ているほか、同じく祭祀に仕える女性たちの動きをイキイキと描いている。違うのは主役が「けがれなき美しき乙女」であること、「公」という文字がないから、おそらく一般の貴族の家庭と推測されている。また、採った水草をカゴに入れさらに鼎や佂で煮るという表現から、お供えした後食べることも考えられる。『詩経』のなかには、食べられる草などの植物を採る歌が首もあるという。ミナミグサを採りながら遠征に行っている夫を懐かしむ《周南・巻耳》もあれば、採ったオオバコを前掛けに入れて包む動きを描いた《周南・䊩䠯》もある。
