紀行・特集
39期にわたり、土地の深層と歴史の息づかいを記録し続けてきた文化紀行誌『中國紀行 CKRM』。 本誌の特集テーマを軸に、各号の誌面と現地取材録を紐解きます。
「特集」の記事一覧
74 編
福建と沖縄 二人の女神
中国東南沿岸部から、実直に海を渡り続けた福建の人たち。おそらくは有史以前から続く、南島語族の末裔たちの航海技術と、培われてきた海の先との繋がりが、ある時代の…

長楽区とは?
福建省福州市の東端、台湾海峡に面して広がる長楽区は、古くから交通の要所として知られています。古代より「海上シルクロード」の重要な中継拠点として繁栄し、明代に…

福州長楽区
いわゆる「魏志倭人伝」が記された『三国志』時代の長楽は「、呉」の支配地で「六平呉航頭」のあった場所。呉はこの地で造船業を興し「、典船校尉」を設置している。こ…

古代の信仰 無数の神々
福建の中で、多くの信仰を集めていた神々は八百万。『日本書紀』には神々の名が無数に記されているとはいえ、それが当時の日本列島にいた神々の全てではない。日本の神…

福清市とは?
福清は福州の南に位置する県級市で、世界各地に多くの華僑を輩出していることで知られています。福清市人民政府の発表によれば、2022年末時点で福清市出身の海外華…

福州福清市
1654年。ある一人の中国の高僧が、福建省福清市から日本に移住している。時代は明清交替期といわれる、明王朝から清王朝へと転換していく時期。このように書けば穏…

海流に乗り続けた交流
かつてこの海域では、交易に有効な鉱物などの資源を見つけ出した先人により地域が開拓され、その資源を用いた交易によって富を蓄えながら、地域同士が交流を続けていく…
冶金の都と温泉の関係
『日本書紀』「神代四代」の社会は、古代中国の「上古八代姓」のような「母系制」と同様だったのではないか。そしてこの母系制社会を形成するのが、南島語族の特徴の一…

福州市とは?
福建の省都である福州建城の歴史は、漢の高祖年(紀元前202年)に始まります。越王・勾践の子孫である騶無諸が、劉邦によって閩越王に封じられ、福州の屏山の南東麓…

福州市
福建省東部沿岸地域、福州市閩侯県甘蔗街道曇石村の北西に位置し、小高い丘の上にある「曇石山遺跡」は、中国東南沿岸部で最初に命名され、福建で最初に確認された考古…

旧石器時代からの変化
福建沿海地域で旧石器時代の遺跡は比較的多く発見され、主に福建西部沿岸の漳州や晋江に集中している。201〜2016年、福建博物院と平潭総合実験区社会事業局は、…

平潭島とは?
福建東部に位置する平潭島は、中国で番目に大きな島であり、126の島と702の岩礁で形成されています。台湾島に最も近い場所にあることで知られ、台湾新竹市まで約…

平潭島
朝靄に包まれる高速道路を走り抜け、辿り着いたのは風の島。なぜ風の島なのかといえば、先が見えない高速道路の橋をあれほど走ったというのに、平潭島についたら全てが…

南太平洋の海洋民族と平安
ポリネシア人という言葉に、聞き覚えがある人もいるだろう。ポリネシア人とは南島語族(オーストロネシア語族)に属す、かつてはマレー・ポリネシア語族と呼ばれた人た…

古い街並みで味わう北京グルメ
故宮から2キロほど東の「禄米倉胡同」という路地にある。禄米倉という名は、明代に米を貯蔵していた倉が由来。明から清の時代にかけて、この界隈には朝廷の食糧を貯蔵…

中華の中心と中岳嵩山
る「達磨」が有名だが、少林寺は達磨のために創建された寺ではない。少林寺の名は嵩山奥深くにある、少室山北麓の五乳峰の林の中に作られたことに由来している。『魏書…

鄭州市とは?
河南省の省都である鄭州は、中国八大古都のひとつで、現在は中国第位に位置する大都市です。黄河近郊に位置する鄭州は東西南北を結ぶ交通の要衝で、「中国鉄道の心臓」…

鄭州市
一つの武術の発祥地として名高い、嵩山少林寺。それは河南省の省都である、鄭州市の中の登封市にある。登封の名は、中国唯一の女帝である武則天が亡くなる数年前に、「…

五代十国と東京開封府
戦争が終わったとはいえ、民衆の苦しみがすぐに救われることはない。生きるためには食糧がいるし、生活を維持するための資金もいる。もちろん、寝る場所も必要だし、病…

開封市とは?
河南省東部に位置する開封市は、中国八大古都のひとつであり、北宋時代には「東京開封府」という名の首都として、中国文化を育んだ歴史的な都市です。その名残りを感じ…

開封市
宋王朝の首都として名高い開封は、宋の時代に「東京開封府」と呼ばれていた。日本の現在の首都は東京だが、約千年ほど前の河南省に、その名の都が初めて登場する。唐王…

関羽伝説が始まる許昌
陵橋の故事を語らないわけにはいかない。そして、歴史的史実である「二十四史」の『三國志』と、羅漢中により創作物語が編纂された『三国志演義』の違いについても同様…

許昌市とは?
河南省の中部に位置する許昌市は、中国の中央平原に広がる都市で、古代から交通と文化の中心地として栄えてきました。三国時代とゆかりが深いこの地には、曹操が後漢の…

許昌市
曹操の子である曹丕が、後漢献帝の「禅譲」を受け皇帝に即位し首都に定めたのは洛陽だが、三国時代の魏の曹操の本拠地といえばやはり「、許昌(許都)」だろう。許昌の…

五胡十六国と古都洛陽
学派は、『史記』の中で司馬遷が「諸子百家」として紹介している。後漢の時代、すでに中国に仏教は伝わっているはずだが、諸子百家の中に仏教に関わる人は含まれていな…

洛陽市とは?
河南省の西部に位置する洛陽市は、中国八大古都のひとつで、4000年以上の歴史を誇る文化的な都市です。洛陽は「十三朝古都」と呼ばれ、中国最初の王朝である「夏」…

洛陽市
北魏の時代、孝文帝により首都が平城(現在の大同)から洛陽に遷都され、この時(494年)から龍門石窟の造営が始まっている。この造営は唐王朝末期まで、約400年…

中華文化の発祥地、河南省
中華文化の始まりといわれる、夏王朝の禹の元に集った人たちは各地に散り、そこはやがて、九つの「州」になり「九州」といわれるようになるのだが、「州」という字は、…

楚天台と楚の章華台
文化観光区の象徴的建物であり、「江南三大名楼」に匹敵する建物だ。磨山の第二主峰にそびえ立ち、古代の「章華台」の形を模して建てられ、高さ3526・メートル、屋…

湖北省とは?
揚子江の中流域に位置し、周代、春秋時代、戦国時代に存在した

湖北省
湖北省、長江中流域の河川港が集まるこの地域は、いつの

白居易が愛した草堂
れ、当時44歳だった左拾遺の白居易は、皇帝に凶手を厳しく追及するよう上表した。これが「越職言事」と見なされ、唐の第14代皇帝である憲宗が奸臣の中傷を信じ、白…

江西省とは?
長江中下流の南岸に位置し、中国華東エリアに位置する江西

江西省
アジア最大の銅山である徳興銅鉱山のある江西省は、工業の

紡績と養蚕
中中国国ののララググジジュュアアリリーーメメゾゾンンででああるる
唐代中国東部の茶都
湖の南岸にあり「絹の府・魚米の郷・文化の邦」との美称をもつ。茶文化発祥地の一つであり、晋時代には貢茶の「温山御舛」が生産されていた地域。かつては「唐代中国東…

浙江省とは?
中国東南沿海エリア、中国華東エリアに位置する浙江省。温暖

浙江省
総面積三分の一が銭塘江の流域となっている浙江省。杭州湾
杭州湾から武漢を目指して
た三隻の遣唐使船が到着して以来、浙江省の寧波はたびたび、中国王朝に定められた日本船の指定港になっている。ここが日本から行きにくい港であれば、指定港にはならな…
広漢ってこんなところ
融合と変化
の女神である「媽祖」は、両脇に「順風耳」と「千里眼」という鬼のような従者を従えている。それぞれの能力である「遠くのものを見る力」と「遠くの音を聞く力」は、航…
古蜀國王の伝承
出る川の上流を探す」か「塩素を含む温泉地を探す」という二種類なのだが、ここにも温泉というワードが含まれている。銅が主成分の青銅は、いかに綺麗に金色を保ったと…
民族の系譜と青銅神樹
れ、この根拠になっているのが、右上と左の「青銅神樹」という青銅器である。このモチーフといわれるが、扶桑は『山海は「扶桑の樹」経』「海外東経」の中で「、湯谷上…

龍の衣と文化の起源
をもつ龍が施された「龍袍」をイメージする人は多いだろう。しかし、この「龍袍」を、皇帝はいつから着ていたのかと尋ねると、多くの人は見当もつかない。そもそも皇帝…
同様の紋
『華陽国志』の中で、蜀は「人皇」の頃からあるとされている。三星堆遺跡は今から4800年から、2600年前までの2200年の文明の跡だが、現代から2200年前…

尊と罍
徴的な器が発見されている。尊と罍の大きな特徴は、窄まった首があり、胴の部分が広がっていて、底部にかけて窄まっていく姿。尊と罍の違いは、首の長さだ。尊は長くて…

三星堆遺跡
車水で溝を掘った時、400点余りの精巧な玉石器を発見した。これが「広漢玉器」として有名になり、農民は無意識に数千年間眠っていた三星堆文明を目覚めさせ、193…
成都楽山トピックス
楽山ってこんなところ
省都である成都からも、多くの人々が休日に楽山を訪ねるその理由は…美食です。「食在四川、味在楽山」という言葉の通り、楽山は四川省で一番の美食が集まる場所として…

成都ってこんなところ
気候と麻辣食文化。四川省には質の高い豆腐を原材料として作る産業があり、1956年の公私合営後に技術伝承が進みました。陳麻婆豆腐では、自家製調味料も販売してい…

独自に推測する年代
されている蜀の王と帝の数は5人。「蚕叢」が初めて王を称した後は、「柏灌」が王を継ぎ、その次の王は「魚鳧」、が継いでいる。その次の王は「杜宇」杜宇は人々に農業…
蜀の王と帝の年代
星堆文化が再度流入し、全盛期となったのは第三期(殷墟第四期〜西周中期)だ『。華陽国志』の中で、成都に移住したのは開明王を称した保子帝。保子帝が攻めたという青…

古蜀國の伝承
ある『華陽国志』巻三「蜀志」の記述を意訳抜粋して紹介したい。『華陽国志』は東晋の永11和年(355年)、常璩によって編纂された地誌である。〜蜀の国は人皇の時…

異なる祭祀の形跡
状況を研究している考古学者は、当時の古蜀人の祭祀方式には「燎祭」「瘗埋」「浮沈」「高台」「卜甲」など多種類の祭祀があり、祭祀の前には「毀器」の伝統があったよ…

金飾と玉牌
300点余りの金器が出土している。この量と種類は中国同時期の遺跡と比べ最も多く、金箔と金片を主とし、金冠帯・金面具・太陽神鳥金飾・箱形器・喇叭形器・几字形器…

金沙遺跡
二環路と西三環路の間にある遺跡。青羊区の「金沙村」、金牛区の「黄忠村」「紅村」「郎家村」に分布していて、総面積は約5平方キロメートル。商(殷)から西周時代に…

今号特集の舞台 四川省とは
川省は、日本の国土面積の約1・3倍におよぶ大きな省。西は高原地帯で、東に四川盆地が広がります。四方を山地に囲まれた四川盆地は、岷江や嘉陵江など長江に注ぐ河川…

横濱媽祖廟
横濱媽祖廟の正式名称は「横浜大天后宮」。横浜中華街の中、明治時代に置かれた清国領事館跡地に隣接する土地に創建されました。横浜は、1858年に日米修好通称条約…

大間稲荷神社
本州最北端の地、大間にある大間稲荷神社は、港に近い小高い山に鎮座。鳥居付近から海の向こうに函館も遠望できるところです。もとは1730(享保15)年に勧請され…
天聖寺跡天妃尊
天聖寺は、1707(宝永4)年に水戸の祇園寺三世の蘭山禅師が小川の地に移り、開祖となったのがはじまりの寺。蘭山禅師が88歳で天聖寺の住寺になったときに、徳川…

大洗天妃山弟橘比賣神社
徳川光圀公によって分祀された天妃尊像(媽祖像)の一つは、磯原の地に祀られました。大北川河口近くにある、海にせり出た小高い山です。この山は、かつては朝日指峰と…

磯原天妃山弟橘媛神社
壽昌山祇園寺
に来日した東皐心越禅師の開山、水戸藩第二代藩主徳川光圀公の開基による寺院です。祇園寺には心越禅師がもたらしたという、天妃尊像(媽祖像)が安置されています。祇…
万寿山聖福寺
聖福寺は日本に黄檗宗を伝えた隠元禅師の孫弟子にあたる、鉄心道胖禅師によって1677(延宝5)年に創建された寺。興福寺・崇福寺・福済寺とともに四福寺に挙げられ…

分紫山福済寺
崇福寺は1629(寛永6)年に長崎に在留していた福州の人たちの願いにより、故郷福州の僧超然を招いて建てられた黄檗宗の寺院。媽祖堂の建立からはじまった唐寺で、…

聖寿山崇福寺
東明山興福寺
興福寺は1620(元和6)年に渡来した真円が航海安全を祈願して、この地に媽祖を祀る小庵を結んだことに始まる黄檗宗の寺院。そのころの長崎は明の商人たちが渡来し…

熊襲の穴
熊襲の穴は、霧島市隼人町の妙見温泉に程近い山中にあります。「熊襲」とは、宮崎から鹿児島にかけての地域に住んでいた先人たちのこと。この地域には、熊襲に関する伝…
野間神社
鹿児島県南西部、野間半島の野間岳に鎮座する野間神社は、もとは山頂に野間権現として祀られていた古社です。現在の地には1830(文政13)年に遷座され、瓊瓊杵尊…

久米村発祥地 唐の船御嶽 港川遺跡公園
那覇市に残された上天妃宮跡地の名は天妃であるが、媽祖が天妃といわれたのは明代までで、清代の康熙二十三年(1684年)以降は格が上がり、天后として封じられてい…

崇元寺公園 三重グスク

天尊廟・天妃宮
琉球國の正史である『中山世艦』によると、明の洪武帝が閩人三十六姓を派遣したと伝わるのは1392年のこと。閩人とは主に福建省の人をいい、那覇港の近くの久米村(…
浦添城跡・浦添ようどれ
浦添城跡は古琉球三山時代の中山の地、浦添市の東側の丘陵にあります13。世紀末に造営された浦添城は14、世紀には瓦葺の正殿を中心に、石積みの城壁に囲まれた大規…

母なる海に包まれて
母なる海という言葉は、いつの時代から使われていたのだろう。